2021年10月12日
高槻市をはじめとした北摂エリアで、数多くの住まい探しをお手伝いしているサンライフホームサービス。
今回は高槻市の歴史を深堀りします。
利便性がよく、都会と田舎が混在する高槻市は、実は「歴史のまち」と呼ばれるほどたくさんの歴史遺産を見ることもできる街なんです。
高槻市の歴史に触れるなら、自然豊かなエリアや、昔ながらの雰囲気が残る地域へ足を運んでいただくのがおすすめです。
まず、高槻市では3~7世紀にかけてたくさんの古墳が築かれました。
阪急高槻駅から車で約15分、自転車でも20分ほどで行ける場所にある今城塚古墳は、聖徳太子の曽祖父にあたる継体天皇のお墓とされる古墳です。
ほかにも芝谷古墳、昼神車塚古墳、弁天山古墳など、市内で古墳巡りができるほど大小数多くの古墳が存在しています。
高槻市にはかつて、芥川山城というお城がありました。ここは戦国時代の武将である三好長慶が住んでいたお城です。
摂津峡公園には三好長慶の石像が建っており、園となりには彼が生前に詠んだ和歌や連歌、生涯の実績をまとめたパネルも展示されています。
高槻市を語る上で外せないのが、キリシタン大名として有名な高山右近です。
キリシタン大名とは、キリスト教を信じ、洗礼を受けた大名のこと。彼の洗礼名である「ジュスト」は、ポルトガル語で「正義」を意味する言葉です。
高山右近が洗礼を受けたのは、三好長慶がこの世を去った1564年、12歳のとき。21歳のときには高槻城の城主を務めるかたわら、20堂以上の協会を建設しました。
なんとその当時の高槻市は、約25,000人の人口のうち7割強がキリスト教信者だったといわれるから驚きです。
その後、日本でキリスト教弾圧の流れが起こっても、高山右近は信仰を続けました。しかし、日本では1612年に禁教令が発布されたことは歴史の授業で習ったとおり。
高山右近は国外追放され、その生涯をマニラで終えました。
2015年に没後400年を迎えた高山右近ですが、2017年にはカトリック教会より福者の称号が与えられました。福者とは、その生涯で徳のある行為をし、聖人として生きた証を認める称号です。
また、高山右近が最後を迎えたという縁から、高槻市とマニラは姉妹都市となっています。
高山右近の生涯をもっと知りたくなったなら、ぜひ高山右近とゆかりのある場所を巡ってみてください。
阪急高槻駅から約25分歩いて、まずは高槻城東大手門跡へ。そこから7分ほど行くと、高山右近の銅像がある城跡公園へ辿り着きます。
さらに5分ほどで着くしろあと歴史館では、高山右近に関する資料を見ることができます。
あとは阪急高槻駅の方面へ向かう途中、高山右近高槻天主教会堂跡、カトリック高槻協会に立ち寄ってゴールです。
最後に豆知識をご紹介。高槻市の地名の由来をご存じですか?実は、昔の高槻の表記は高月だったんです。
いまの表記になったのは室町時代、高月の地に槻(ケヤキ)の木が生い茂っていたことから「高槻」になったといわれています。
今回は、高槻市の歴史を深堀りしてみました。今回ご紹介した観光スポットをぜひ巡ってみてくださいね。
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